バカのための読書術
小谷野敦
「頭が良い」のと「知識がある」は違う。
「頭が良い」のと「知識がある」のは、違うのである。
つくづく感じるのが、落語家の笑福亭鶴瓶である。
彼は、桂ざこばと会場から3つのお題で、落語を行うと言う番組を行った。
ゲストがお題を選び、落語を作る。
桂ざこばは、非常に苦労していたが、鶴瓶は際立っていた。
無知の役を演じていたが、そう言うところで客の心をつかむところが「頭が良い」と思う。
難解でなくても面白い。
「難解本」を読まなくても良いと言う決心がついたのは、何人かの学者のおかげである。
その中のうち1人、井上章一の存在である。
もともと建築家を目指していて、ル・コルビュジェの建築を見て、自分の建築の才能の限界に気づいたと言う。
そこで、建築史を専攻し、ある対象に対する昔の言説を掘り起こして調べなおして方法を次第に確立すると言う。
その後、本体が馴染まないと途中で読むのをやめてしまったと言う。
「知的生活の方法」は、そんなに悪くない。
「知的生活の方法」の論文を書けといわれて書くのだが、実際に書くとなると色々と本を読んで纏めなければならない。
当たり前の事だが、資料を調べつくして書くことはまずない。
本を読みながら書く方が能率が良い。
新聞の使い方
本以外の情報源として、新聞は是非とるべきである。
まず新聞がくると、ざっと目を通して、面白そうな記事は読み、下段にある新館図書の広告や雑誌の広告を細かく見る。
必要な記事は、切り取りノートに張るかスクラップブックに入れる。
これは習慣なのだが、一週間経過したら、客観的にその記事を眺めることが出来る。
切り取る記事の内容によってノートを使い分ける。
雑誌の活用方法
新聞の週刊誌の記事になかに面白そうな記事の週間誌を購入する。
週刊誌も日付の部分まで取っておく。
関心のある所だけ読み、面白かったら切り取り、ノートに貼り付ける。
たまたま入ってきた情報から興味のあるところだけを切り取ることで良いのである。
新書版は必ず良い入門書ではない。
入門書・概説所・解説書の類は大いに利用すべし、と呉智英は書いている。
新書版は書き下ろしのため、どれほど人選がよくても良いとは限らない。
そこで、1つの解決方法として「解説」を使う。
解説は利用できる。
長い小説を読んで、最後に解説が来る。
外国では「何故最後に解説が来るのか?」と不思議がられるが、アフターワードとして紹介も出来る。
図書館でこの部分だけノートに書いて使う手もある。
読まないで良い本を決める。
今の時代は、恐ろしいほどの本が流通している。
だからどうやって読み本を見つけるかより、読まない本を決める方が重要かも知れない。
そして、読まない本は、個人の資質にそって決るから、自分の資質を見極めることが大切である。
「史観」とはなにか
最近、「史観」と言う言葉を耳にする。
「自由主義史観」とか「司馬史観」とかある。
たとえば、「司馬史観」は幕末から、明治維新まで、多くの小説を書き下ろしているため、「司馬史観」の中身を読むと司馬遼太郎氏自身のことは何も書いていない。
徳川将軍の「史観」とか宮本武蔵の「史観」とかも、茶飲み話しの一種しか乗せていないのである。
「国語」が苦手
学校で読ませる教科書とか、読書感想文指定図書と言うものは好きではなかったが、江戸川乱歩の少年探偵団とか南洋一郎が翻案した怪盗ルパンとかは、非常に人気があり面白い。
しかし、教科書に載っている文章は、なんだがつまらなかった。
小学生のころは、書くことがないので作文が苦手だったが、物語を一度だけ書くことがあり、その時は非常に筆が進んだ。
興味をもつことから始めることで、改善されていく。
それは本でなくても、漫画でもよいのである。
名作が漫画になることもある。
「文学」も少しは、読んだ方がよいが、無理して「文学」を勉強する必要はない。
有名な作品は、有名な映画監督によって映像化される事もある。
芥川龍之介の「藪の中」は黒澤明の「羅生門」として映画化された。
「源氏物語」も漫画になって若者に読まれている。
・難解なものは入れない。
・漫画も入れる。
・国籍、地代を問わない。
・むやみに長いものを入れない。
・現代日本の作家は入れない。
・読者の年齢、性別で分けてみる。

