工藤公康の投球論

47番の投球論

工藤公康 著

 

いつも意識し、心がけていることです。

まず頭で考えるのです。

イメージ作りが出来たら、実際にトレーニングやピッチングで身体を通して検証するのです。

「体はどういう反応をしたのか?」「自分のイメージどおりに動いてくれたのか?」

その結果をまた頭の中へフィードバックすると、「ここの動きは思ったほどしていなかった」「ここにちょっと違和感がある」「筋肉が疲労しているみたいだ」と答えが返ってきます。

それを延々と繰り返すしかありません。

僕はピッチングとはピッチャーとキャッチャーの共同作業だと思っています。

だから、経験の浅い若いキャッチャーの考えを尊重して、ピッチングをしたら打たれる確率は高いかもしれません。

でもキャッチャーを育てなければいけないから、打たれるかもしれないとわかっていても、キャッチャーの判断に従って投げなければならないこともあると思います。

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基本的には対戦するバッターに応じて配球が決まります。

バッターの性格や癖、それに得手不得手の球種やコースを見抜き、同じストレートでも緩急をつけたり、コースに投げ分けたり、また変化球の場合も縦の変化、曲がりの大小等、攻め方にはいろんなオプションがあります。

また同じバッターでもランナーの有る無しや試合の流れなど、状況に応じて攻め方は変わってきます。

そこにバッターとの駆け引きが生まれるのです。

ですから。ピッチャーにとってバッターを研究することは、配球と合わせてきわめて重要なことであり、ピッチャーとして最初に取り組まなければいけない課題なのです。

僕が何を考えて野球をやっていたかというと、
一番楽して投げられるフォームは?
力を使わずしてボールを投げる方法は?
また遠くへ投げる技術は?
というようなことです。

やるんだったら楽してやろうと考えていたのです。

野球が嫌いだったからです。

だから、人が一週間かかるところを僕は一日で、一日なら一時間でマスターしようとしました。

練習は嘘をつきません。

やったことはすぐではないかもしれませんが、必ず返ってきます。

継続することの大切さなのです。

「継続は力なり」と当たり前のように言われていますが、実に重みのある言葉であり、わかっていても実行するとなると難しいことだと思います。

苦しくても頑張ることで体だけでなく、気持ちも鍛えられるのです。

厳しい練習に耐えることができるのは、強靭な精神力があるからこそです。

練習と精神力は裏表一体をなすものだと思います。