「成功」と「失敗」の法則
稲盛和夫 著
成長の分岐点
人生を終えるときに、立派な人格者かそうでないかの違いは、人生において自分を磨き、人格を高める事ができたかどうかである。
「試練」を経験する事で人間を大きく成長させてくれるチャンスになる。
実際、偉大な事を成し遂げた人で、試練に遭った事がない人はいない。
試練とは苦難の事だけを指すのではなく、人間にとって成功さえも試練なのである。
人生は大小様々な苦難や成功の連続であり、そのいずれもが「試練」である。
苦難には真正面から立ち向かい、精進を積む。
成功に対しては謙虚にして驕らず、真摯に努力を重ねる
なぜ、哲学が必要なのか?
才覚があればあるほど、それを正しい方向に導く羅針盤が必要である。
その指針となるものが、理念や思想であり、また哲学なのです。
人格は「性格+哲学」である。
生まれながらに持っている性格と、その後の人生を歩む過程で学ぶ哲学の両方から、人格が成り立つ。
人生の目的は「心を高める」「魂を磨く」事にある。
カネやモノを溜めこんでも死を迎えると一旦精算しなくてはならない。
だが、死を迎えても「魂」だけは滅びない。
だから生まれた時より、少しでもましな人間になる。
わずかなりとも美しく遂行な魂を持つために生きている。
善き思いは善き結果をもたらす。
心に善き思いを持った時、それは善き力となって出ていき、善き結果を連れ戻ってくる。
幸福で満ち足りた人生を望むならば、善き思いをベースとして生きなければならない。
思いやりに満ちた思いを心に抱くには、日々、欲望や怒り、愚痴など、悪しき思いを出来る限り抑え、少しでも善き思いが湧き出るようにしなければならない。。
私は幸せとはまさに主観的なものであると思う。
幸せと感じられるのか感じられないのか、その成否はあくまでも、当人の心の状態にあるのであって、普遍的な基準など一切ないと思う。
努力して煩悩を抑える事が必要である。
そうすれば、人間の心の奥底にある、美しく優しい心が必ず出てくるはずである。
そうした美しい心を持って生きる事が出来れば、たとえ物質的に恵まれていなくても、幸せを感じる事ができるのである。
人は往々にして、たくさんの人々の支援を得て成功をおさめたにも関わらず、その原因を自分に能力があるからだと考え、次第にその成果も独り占めしたいと思うようになる。
自分でも気づかないうちに少しずつ傲慢になっていく事で、次第に周囲の協力が得られなくなり、成功が長続きしない。
人間の心は庭のようなものである。
それは知的に耕さる事もあれば、野放しにされる事もあるが、そこからは、どちらの場合にも必ず何かが生えてくる。
優れた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種をまき、それを育む。
それを心を整えるという。

