40歳から成功した男たち
佐藤光浩 著
トップは孤独なもの
レイ・クリック(マクドナルドコーポレーション創業者)は、52歳の時にマルチミキサーを売っていたが、マクドナルド兄弟に出会いハンバーガーショップをチェーン展開をすればミキサーが売れると思い、チェーン店契約をした。
マクドナルドが少しずつ軌道にのるまで、マクドナルドとマルチミキサー店の掛け持ちをして収入を安定させる努力をした。
大企業の上に立つものは、背負わなければならない十字架がある。
高みを目指すために友人を失うこともある。トップは孤独なのだ。
商売は楽しむもの
三井高利(三井グループ創業者)は52歳の時に江戸に小さな店舗を借りて既存の呉服屋とは違う方法(店頭現金販売)をスタートした。
同業の嫌がらせにもあいながら江戸での商売を安定させていった。
勤めを苦労と心得ては、おびただしき間違へに候(仕事を苦労と考えるのは、とんでもない間違いなのだ)
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人生に、遅すぎるという事はない
安藤百福(日清食品創業者)は、50歳になる前に自宅裏の小屋に研究室を作りラーメン作りをスタートした。
約1年かけてインスタントラーメンのチキンラーメンを誕生させた。
事業と財産を失い、裸で出発したからこそ、私の力がフルに発揮できたのだろう。
人生に遅すぎるという事はないのだ。
失敗は新しい出発の機会
カーネル・サンダース(ケンタッキー・フライドチキン創業者)は、40歳でガソリンスタンドに併設した食堂を併設することを考えてスタートした。
50歳代、60歳代で火災や事業失敗で65歳でほぼ無一文となり、フライドチキンのスパイスを提供する方法をスタートした。
事業をあきらめずに続けること、失敗は新しい出発の機会だ。
子煩悩パパの大発明
ジョン・ボイド・ダンロップ(ダンロップ創業者)は獣医師で、47歳の時に10歳の子どもが自転車レースで1位を取りたいという希望に対して、馬車の乗り心地が不快だったことを思い出し、チューブ入りのタイヤを試行錯誤で作りレースで一位となった。
そのタイヤを子供たちがほしがった。
10歳の息子の速く走れる自転車がほしいという願いが世界の運輸、交通だけでなく、タイヤを使うすべての産業に革命を起こす発明となった。